【神田祭】外神田十二睦『神田田代町会』


zp_P3190029今回の外神田十二睦町会紹介は中央通りの誰もが知っているソフマップからとらのあな、アニメイト、ドンキホーテを過ぎて八木電器、ロイヤルホストまでの中央通りとUDXで挟まれた地域だ。

 

神田田代町会

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 この界隈は、外神田四丁目になる前は、神田田代町とよばれていました。
寛政五年(1793)、湯島の無縁坂から出火した大火で神田川周辺にあった町が類焼し、町の一部が火除地となりました。翌年、そこに住んでいた人々が、御成道の旗本永井伊織の屋敷跡地を代地として与えられて移転してきました。そのため、この一帯は神田須田町二丁目代地、小柳町三丁目代地、神田松下町一丁目代地、神田花房町代地などと呼ばれる町になりました。
明治五年(1872)、このあたりが俗に「神田代地」とも称されていたことから、それを略して「田代町」と名付けられました。千代田区に属した昭和二十二年(1947)からは神田田代町と改称され、同三十九年(1964)に住居表示が実施された際、周辺の町の一部と合併して、現在の町名「外神田四丁目」になりました。
町内の裏路地には「花房稲荷神社」があります。現在の社は戦後、地元住民が再建したものですが、神社そのものは江戸時代からこの地にあったとされ、古くから地域のシンボルとして人々に親しまれています。

※外神田四丁目神田田代町の碑より転載

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「神田代地」が転じて「田代」と改称された点が由来としては面白い。住所としては外神田4丁目1〜5までの地域がそれだ。14番地は神田青果市場や国鉄の貨物駅の後地であり、「神田山本町会」となっているがタワーマンショ等の出現により住民バランスが変わることを恐れた近隣町会とは別立てで町会が発足したと住人より聞いたことがある。なので、14番地は別町会。中央通りに面してとらのあな、アニメイト、ドンキホーテなど秋葉原の表のイメージの一端を担う場所だ。

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江戸時代の地図を見ても「代地」が確認できるのみでそれほど特徴的な所はみつからない。今までも他の町会の碑を見てきたが、大火の後の代地などで町区画が変わってからの歴史が長いようだ。

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【詳細情報】
■町会名:神田田代町会
■該当地域:外神田4丁目1番地〜5番地
■碑の場所:とらのあなA店前
■サイト等:なし
■千代田区サイト:
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/kandatashiro.html

 

 

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秋葉原プラス 編集部
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