【神田祭】外神田十二睦『末広町会』


zp_P4180007しばらくご無沙汰となっていた外神田十二睦町会紹介、今回は銀座線末広町駅として駅名にも使われている『末広町会』を紹介していこう。『末広町会』は外神田3丁目5〜10、14〜16の地域で構成されている町会となる。主な店舗としてサイゼリアやアニマックスカフェ、メイリッシュなどを含む市域だ。

 

末広町会

zp_P4180011

 かつてこの界隈は、末広町と呼ばれていました。
江戸時代、現在の外神田三丁目一帯は、武家の屋敷地と商人・職人の居住地とが隣り合っていました。古い江戸の地図を見ると、町の南側にあたる場所には、神田平永町代地や柳原岩井町代地、麹町平川町一丁目代地、神田山本町代地といった町名が見受けられます。いずれも商人や職人が住んだ町(町屋)で、主に日用品が商われていたと伝わっています。反対に、町の北側は越後(現在の新潟県)村松藩堀家の藩主が住む上屋敷をはじめ、十数軒の武家の屋敷が集まっていました。
ところが、徳川氏の支配が終わりを告げたまさにそのとき、この界隈は激しい戦火にさらされました。明治元年(1868)、江戸無血開城を不服として上野寛永寺にたてこもった旧幕府軍と新政府軍とが戦った上野戦争がそれです。この市街戦は、現在の外神田三丁目に集結した新政府軍からの攻撃によって始まりました。そして、わずか半日ほどで新政府軍の勝利に終わったのです。
末広町が誕生したのは、上野戦争の翌年、明治二年(1869)のことです。とくに神田界隈では、戦闘に巻き込まれ家族や屋敷を失った町民も少なくありませんでした。末広というおめでたい名前には、「これからは、末広がりで町が平和に繁栄しますように」という。町民の切実な祈りが込められていたのかもしれません。

※外神田三丁目末広町会の碑より転載

zp_P4180010「末広がりで町が平和に繁栄しますように」という祈りが届いたかのような現在の賑わいのある街となっている。神田3丁目の約半分をL字のような形で構成されている。番地としては5〜10、それに14〜16と少し飛んでいるが芳林公園を含んだ蔵前橋通り側と思えば若干わかりやすいと思う。

zp_P4180014

また同地域の江戸時代の地図は以下のとおりだ。「現在地」と書いてあるのが以前交番だった建物付近なのだが、大きな菱形の家紋の下が町屋になるようだ。本当に武家と商人・職人の境だったと思われる。

zp_P4180017

末広町会はジャンク通りの約半分を占めており、秋葉原のパソコンパーツ店やジャンクパーツなど電気街の名残を色濃く残す地域でもある。祭りの神酒所は一本中央通り沿いの道、Arkの先あたりに出来るはずなので、祭りの雰囲気を見たいのであればちょっと一本中央通り側を歩いてみるのも良いかもしれない。

zp_P4180007

【詳細情報】
■町会名:末広町会
■該当地域:外神田3丁目5番地〜10番地、14番地〜16番地
■碑の場所:三菱東京UFJ銀行 秋葉原支店の昌平橋通り側
■サイト等:なし
■千代田区サイト:
http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/suehiro.html

 

この記事を書いた人

秋葉原プラス 編集部
秋葉原プラス 編集部
秋葉原情報プラス編集部のアカウントです。