三洋電機東京ビルが解体? それに伴い喫茶店発祥の碑が…

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秋葉原からずいぶん離れた場所の御徒町駅松坂屋付近。そこにあった『喫茶店発祥の地』の記念碑が三洋電機東京ビルの解体に伴い見えなくなってしまった。その様子をお伝えしたい。

 

三洋電機東京ビルにあった「可否茶館(かひさかん)」跡地

台東区上野一丁目にあった日本最初の喫茶店「可否茶館(かひさかん)」の碑が、三洋電機東京ビルの工事の為にかけられた囲いに取り込まれてしまった。

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写真撮影時は丁度囲いを組み立てていた時期だった。先に進むとコーヒーカップを模した碑があったのだが、すっかりと囲われてしまっていた。

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この角に日本最初の喫茶店の碑があった。

角の部分には申し訳程度に碑の下部にあった説明文だけが張ってあった。

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日本人による初めての喫茶店の碑

当時は三洋電機が現在のような状況になるとは思いもしなかったのだろう。ビルの敷地内にその碑は作られていた。当時の様子が分かる写真(2012年11月撮影)が見つかったので見て頂きたい。

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見て頂くと分かる通りビルの花壇の中に立っていた。当時から気を付けて通らないと見落としてしまう碑ではあったが、無くなってしまうと残念で仕方が無い。

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上部にはこのように喫茶店をイメージしやすいコーヒーカップが乗っていて、興味深い碑だった。

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現在、この碑に書かれている説明文はフェンスに張り出してあるので見る事は出来る。しかし、寂しい状況となってしまった。今後この三洋電機東京ビルがどのように変わるのか不明だが、この碑はしっかりと復活させてほしいと願ってしまう。

その日本最初の日本人による喫茶店の跡地の碑にはこのような言葉が書かれていた。この理念は現在でも受け継がれているのだろうか?

日本最初の喫茶店
「可否茶館(かひさかん)」跡地

 明治21年(1888年)4月13日、日本人による初めての喫茶店が、鄭永慶(ていえいけい)(別名・西村鶴吉)によりこの地に設立された。
二百坪の敷地に五間と八間の二階建ての木造洋館であった。

一階には『トランプ、玉突き、クリケット、碁、将棋』を揃え、また硯に便箋や封筒もおき、更衣室、化粧室、シャワー室、調理場などの設備の他に、『内外の新聞、雑誌類、その他和漢洋書、書画を蒐集縦覧に供す』部屋を設け、二階が喫茶室で、丸テーブル、角テーブルを配置、椅子は籐であった。

コーヒーは一杯一銭五厘、牛乳入りが二銭であり、一品料理、パン、カステラなども出していた。ちなみに当時、「もりそば」は八厘であった。
設立者の鄭永慶(ていえいけい)は、近松門左衛門作の「国性爺合戦」で有名な鄭成功(ていせいこう)の弟、七左衛門を先祖にもち、庶民のためのサロンとして、また知識も学べる広場(コーヒーハウス)とすることを理念としての開店であった。

※日本最初の喫茶店の碑にあった説明を転載。