【神田祭】外神田十二睦『万世橋町会』


zp_P5030083祭目前の今回紹介するのは秋葉原の駅前、万世橋町会だ。万世橋警察署、万世橋から愛三電機やコミックZINがあるあたりまでの中央通りの左右がその範囲となる。専ら「秋葉原」と言われてイメージする風景を構成している町会だ。

 

万世橋町会

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萬世橋(万世橋)

この一帯は、橋の名にちなんで「萬世橋(万世橋)」と呼ばれています。萬世橋の名前は、明治六年(1873)、昌平橋よりもやや下流に架けられた「萬代橋(よろずよばし)」に由来します。いつのころから人々はこの橋を「まんせいばし」と呼ぶようになり、明治三十六年(1903)にほぼ現在の場所に架け替えられました。

江戸時代、この界隈は、下谷御成道へ出る街道にあり、人々の行き交う町でした。またここは神田川河岸で、年貢米や野菜などを運び込む水運の拠点でもありました。江戸時代の地図にある「神田通船屋敷」は、幕府が手がけた見沼代用水の難工事に協力したことで、将軍より用水路の通船を許可された高田家の屋敷でした。

当時武家地だった神田仲町と神田花房町は、享保年間(1716〜1736)に町屋となり、商人や職人が移り住みます。また、神田花田町は、明治二年(1869)、武家地だった花房町代地と須田町代地をあわせ、両町から一字ずつ取ってできた町です。地元の萬世橋町会は、戦後その三つの町にまたがって成立しました。昭和三十九年(1964)、住居表示の実施により、これら三つの町は外神田一丁目に変わりました。

萬世橋地区のなかでも、秋葉原のあたりには、戦前からすでに電気部品やラジオなどを扱う卸問屋や小売店がありました。しかし、戦時下の空襲により、この一帯は焼け野原となってしまいます。そんな秋葉原駅のガード下に、昭和二十四年(1949)、連合軍の命令で、須田町や小川町界隈にあった電気関係の露天商が移動させられたのです。こうして秋葉原は、世界的に有名な電気街として発展することになりました。

駅名にもなっている「秋葉原」の名前は、明治二年の大火の後、広大な火除地ができ、そこに鎮火神社が祀られました。静岡の秋葉神社が、火伏せの神社だったことから、「あきばのはら」または「あきばっぱら」と呼ばれるようになったと言います。神社の社は、台東区下谷に移された後、現在はJR秋葉原駅の駅長室にその分社が祀られています。

※外神田一丁目にある万世橋の碑より転載

zp_P5030094現在の住所では外神田一丁目1番8~14号、4番9~17号、2番、10番~17番、それに外神田四丁目1番の地域となっている。万世橋から中央通りを通って愛三電機、ソフマップ、大黒屋を含む地域が万世橋町会だ。秋葉原の中心地的イメージの場所となっている。

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江戸時代の地図では火除広通のところには万世橋の文字が見えないほどの小さな橋だったのだろう。このあたりの様子はソラシティーにある「お茶ナビゲート(http://ocha-navi.solacity.jp/)」の古い地図を順に見ていくとまた面白いぞ。

【詳細情報】
■町会名:万世橋町会
■該当地域:外神田一丁目1番地8~14号、4番地9~17号、2番地、10番地~17番地、外神田四丁目1番地
■碑の場所:アトレ前
■サイト等:なし
■千代田区サイト:
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/mansebashi.html

 

 

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秋葉原プラス 編集部
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